鉱泉・温泉・混線(2)





前回は、現在の鉱泉と温泉の定義を見ました。ここでは過去の鉱泉・温泉の定義をみていきます。

鉱泉と温泉という語は、実は明治以前にも使われています。有名なものでは、宇田川榕菴(うだがわようあん)が翻訳した「舎密開宗(せいみかいそう)」 の中、外篇二に記述があります。

鉱泉熱度
〇医書ニ鉱泉冷熱ノ度ヲ称シテ熱泉(ヘーテブロン)温泉(ワロメブロン)暖泉(ラーフブロン)冷泉(クーレブロン)寒泉(コウデブロン)ノ五等トス其熱九十六度(血温ヨリ二度下キコト即人身本然温度)以上ナルヲ熱泉(波亦米亞加列泉 本邦伊豆熱海、北越頸城郡、松山、魚沼郡、大湯ノ類)九十六度ヨリ八十六度ニ至ルヲ温泉。七十四度ヨリ七十一度ニ至ルヲ暖泉。七十度ヨリ五十度ニ至ルヲ冷泉。五十度以下ナルヲ寒泉トス。
※()内は割り注での表記。(引用元

なおここでの度数は華氏であると考えられています(服部 安藏 1957. 温泉分析変遷史. 分析化学6巻8 号 :524-530)。
華氏を摂氏に直すとおよそ以下の温度で分類されています。

熱泉35.6℃以上
温泉35.6℃~30℃
暖泉23.3℃~21.7℃
冷泉21.1℃~10℃
寒泉10℃以下

ここで鉱泉は温泉の上位概念として用いられています。鉱泉のうち摂氏30度以上35.6度未満のものが温泉とされています。
この「舎密開宗」は、天保8 年(1837)から天保10年(1839)にかけ刊行されています。明治初年から30年近く前のことです。その後、明治に入ると、この概念で鉱泉と温泉は定義されたのでしょうか?

ところで、私、たのうえは、鉱泉・温泉行政の実態を明らかにすることを目指しています。その過程で、県・国の行政の連携があったことを明らかにしました。今回はその前提に立ち、明治以降の鉱泉・温泉概念の変遷をみていきたいと思います。下の表は、国および群馬県の法令で、鉱泉・温泉という語がどのように用いられてきたかを整理したものです。

これを見ると、明治6年(1873)~明治11年(1878)には、温泉の語を主に用いたことが分かります。明治6年の調査では、温泉、冷泉を調査するとしながらも、温度は調べなくてもよいものでした。この時期は温泉という一つの概念が主であったと考えられます。
そして明治10年代に入ると鉱泉の語が用いられるようになります。明治12年に鉱泉の語が内務省達に見られて後、群馬県の法令や、国の法令でも、鉱泉、そして温泉、冷泉という語が見られるようになります。
今回調べた中で、鉱泉と温泉の定義が明らかにされるのは、明治17年の群馬県の鉱泉取締規則によります。ここでは鉱泉のうち、華氏六十五度摂氏十八度三三以上の温度のものを温泉とし、以下のものを冷泉としています。そしてその上で泉質毎に分類しています。宇田川榕菴と温度、泉質の分類は異なりますが、考え方は同じです。
また同年3月に定められた地租条例では、地租がかかる土地の一つに鉱泉地を挙げ、その上で鉱泉という地目には、温泉地と冷泉地があるとしています。
このように明治17年には、形は違えど、群馬県の規則、国の法令、共に鉱泉と温泉の定義がなされました。そしてその概念は先に述べたとおり、鉱泉が上位概念であり、鉱泉の一部に温泉がある、というものでした。
ちなみにこの概念の関係は明治19年(1886)に出た日本鉱泉誌でも同様です。

では、その後はどうなったのでしょうか。群馬県では大正12年(1923)に温泉取締規則が設けられます。
その第一条は以下の通りです。

第一条 本則ニ於テ温泉ト称スルハ温泉鉱泉及ビ地下ヨリ噴出スル蒸気ヲ言フ

この規則の制定で温泉と鉱泉の関係が逆転します。温泉は鉱泉の上位概念となり、温泉の一部に鉱泉がある形に変わります。ちなみにこの規則はこのあと、数度の改正を経て温泉法制定まで続きます。つまり、温泉法制定以前も鉱泉と温泉の語の定義は度々変化していました。
ただし、明治に入る少し前から大正12年に至るまでは、鉱泉は温泉の上位概念でした。今、私はその時代の研究をしています。ですので、タイトルの語の順は鉱泉・温泉としました。

以上で今回のお話〆にしたいと思います。乱文失礼致しました。

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