終わりのない旅

たのうえです。

昨日の記事でも触れましたが、別のSNSで永六輔さんと北山修さんについて取り上げ、彼らは、出逢いと同じく別れに対峙したのではないか、という文章を書きました。
そのときは、昔読んだ本の内容を思い出しながら、大雑把に書きましたが、ここで少しきちんと扱っていきたいと思い、今日も記事を書く次第です。

さて、昨日は北山修さんの著書を簡単に紹介しました。
それは、「見るなの禁止」が伴う別れの話の際、見られて恥を感じ去る女性側の心情だけでなく、そこに立ち尽くす男性側の罪について考えて神話を読み直し、自分たちの精神文化を改めていくそんな提言をしているものでした。
やはりそこには別れと対峙する、そんな姿勢が見て取られたと私は思います。

さて、では永六輔さんはどうでしょう。

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何冊か読んだ永六輔さんの本の中で、印象に残っているものがあります。
それは永六輔さんのお父さん、永忠順さんが、永六輔さんの歌について書かれているものです。
…なので、正確に言えば、永さんの本の中で読んだ、永さんのお父さんの文章です。

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それは文末の通りです。

出逢うことの出来ない恋人(真理)と、旅の中で出逢うことを期待する。そこに返事はなくとも、巡り逢えなくても、その恋人がいることを自覚している。
旅の中での幾多の出逢い。そこで巡り逢えない恋人の存在。
それでも旅を続ける。その旅をつづけることにこそ永さんらしさがある。

そんなことが語られているかと思います。

いるはずなんだけど、出逢えない、それでも旅を続けていく。出逢いはあるのだけれど、出逢えない人がいる。
いうなれば、『終わりのない旅』(というタイトルの著作もあります)が続く。

ここにはやはり、幾多のそして尽きることの無い、出逢いと別れが存在するのだと思うのです。

と、永さんの出逢いと別れについて書いておきたかったものの、旅、そこでのめぐり逢いについて、文章を示すに留まりました。

別れについて永さんがどう語っていたか、ここが足りていない。
もう少し、読んできた本を漁ってみたいと思っています。

六輔の歌を見ていると、私にはいつもダゴールの「園丁」の中の一編を思い出す。この本は戦争で焼かれて手許にないので、この間、図書館へ行って捜して写して来た。それは「園丁」の第八番目の詩で次のような一人の娘のモノローグなのだが

枕もとのランプが消えると
私は朝早い鳥と一緒に起き出て
緩やかな髪に花を飾り
窓を開いて坐りました。
バラ色の朝霧の中の道を
あの若い旅人がやってきました。
旅人は真珠の頸飾りを着け
冠には朝の光が射していました。
そうして私の家の前で止まると
熱烈な叫びをあげて私に聞きました。
「あの人はどこにいるのでしょう」と。
でもあまり恥ずかしいので、私には言えませんでした。
「それは私なのです。若い旅のお方、それは私なのです」と。

夕暮れどき、まだランプは灯らず
私はそわそわと髪を編んでいました。
沈む陽の光の中を
馬車を駆ってあの旅人がやって来ました。
馬たちは口から泡を吹き
旅人の衣服は塵にまみれていました。
私の家の前で車を降りると
彼は疲れきった声で私に訪ねたのです。
「あのひとはどこにいるのでしょう」と。
でもあまりの恥ずかしさに私には言えなかったのです。
「それは私なのです。疲れた旅のお方、それは私なのです」と。

部屋のランプが明るい春の夜。
南の風が和やかに吹き
おしゃべり鸚鵡は籠の中で眠っています。
私の着物は孔雀の頸のような青い色
マントは若草の緑色
そうして私は窓辺の床に坐り
誰もいない道を見つめながら
暗い夜を一と晩中
「それは私なのです。絶望の旅のお方、それは私なのです」とつぶやきつづけるのです。
(Rabindranath Tagore; The Gardener 8)

この詩からさらに私は「梁塵秘抄」のなかの「ほとけはつねにいませども、うつつならぬぞ、あわれなる、人のおとせぬあかつきの、夢にほのかにみえたまふ」という歌を連想するのだが、決して人の前では返事をしてくれないもの、返事を求めて旅を続けるのが人間の宿命でもあり、巡礼の姿でもあるのだろう。高山寺の老僧が「何でも貴方の好きな歌を書いて下さい」と言ったとき、六輔は「どこか遠くへ行きたい……」と書いた。
端的に言えば私はこの巡礼の姿を六輔の上に見るような気がするのである。
だいたい「一人ぼっちの二人」などという言葉は人によっては何か奇をてらった言葉のように受け取れるかも知れないが、昔から巡礼が使っている言葉である。面と向かっては決して返事をしてくれないもの、返事を求めて遍歴を続け、めぐり逢うことの出来ない恋人の姿を、果てない旅路の果てに期待する。しかし、「夢はるか一人旅、愛する人にめぐり逢いたい…何処か遠くへ…」などというのは例え返事をしてくれなくても、まためぐり逢えなくても、この恋人がいる事を六輔は知っているからなのであろう。
だから旅というもの、それじたいは一つの課程なのであって、もちろん過程は未完成なものなのだが、それが人間のあり方だとすれば、そのかぎりにおいて、この過程に身をまかしきることは未完成の完成とも言わば言えよう。この理念上の矛盾を六輔は一人ぼっちの二人などという言葉でぶっつけて来るのであろう。武智鉄二氏が六輔を評して「なにごとにもよらず終わりをまっとうしたことがないのが自慢である。これは彼の才能が物ごとの本質を見通す力が強い」からだというが、そういう見方も成り立つかも知れないが、巡礼には終わりや結末はないのである。巡礼という言葉…私は好きだが…が何だか乞食くさくていけないというのならば、他の言葉を使ってもいい。ピグクリム・モダーンとでも。どっちにしても同じことだが。
(中略)
「愛する人にめぐり逢いたい」という言葉も言葉としては矛盾している。常識的には愛することが出来るか出来ないかは巡りあってからのことなのだが、前にも述べたように六輔はもうめぐり逢えない愛する人のあることを知っているのである。印度に「真理は永遠に若い乙女だ」という諺がある。この愛する人とどこでどうめぐり逢うかということが今後の六輔の課題だとおもうが、六輔はいつまでも「愛する人」をたずねて旅をつづけていて貰いたいと思う。言いかえればいつまでも未完成でいるところに六輔の面目があるのだと思う。

永六輔『街=父と子』214頁ー217頁

※先の『親と子』にも同じ内容のものが再録されています。

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