リンク集再考

GDJ / Pixabay

はじめに~リンク集について~

たのうえです。

前の記事でわたしは今までサイトやブログを運営してきたと書きました。
これを止揚(アウフヘーベン)するのが、この新しいブログの目的、とも書きました。
ただ、一方でこれらを統廃合するという考えはありません
もう、個々のサイトブログはアクセス数はほぼゼロになっていますが、そこでのやりとりなど、一つにまとめ上げられないものも多々残っています。

その中で、今、悩んでいるのは、リンク集のことです。

最近のニュース~Yahoo!カテゴリーサービスの終了~

最近気になったニュースの一つに、「Yahoo!カテゴリサービスの提供終了(2018年3月29日まで)」があります。
今はリンク先記事がありますが、web記事の宿命、いつかはリンクが切れることもあるかと思いますので、リンク先画像を以下に掲載。

Yahoo!カテゴリーサービスとは ~住所録、電話帳、リンク集~

Yahoo!カテゴリーサービス=ディレクトリ型検索となります。

私など知識の無い人間は横文字がくると、とたんに意味が分からなくなってしまいます。

ディレクトリは、日本語でいうところの住所録。
タウンページみたいなもの…と説明しようとしましたが、下手すると今やタウンページすらも死語かと思い直しなした。
タウンページはNTTが出している電話帳。かつては電話がある家にはどこにでもありました。

今でもそのサービスは残っています。

iタウンページ https://itp.ne.jp/
タウンページライブラリー http://www.denwacho.ne.jp/

こういう電話帳は、地区ごと、五十音順、業種毎などにまとめられて(カテゴライズされて)います。
そして、電話するときはこれをひいて、どこどこのだれそれさん、や、何々屋さん、を調べてから連絡をとりました。
今でもお近くの図書館などにはおいてあるかと思います。

翻って、Yahoo!のディレクトリ型検索、というものは、インターネットのサイト、ホームページにアクセスしようとするときに、そのアドレス(住所)をジャンル別に調べるサービスだったと言えます。
ここで、最初の言葉に戻ります。

規模こそは違え、人の手によって整理されたリンク集、それがYahoo!検索でした。

Yahoo!カテゴリキャプチャ

かつてのネット社会~求められた情報活用能力~

Googleなどの検索システムが高性能になって、津々浦々のページを検索できるようになりつつなる以前は、このリンク集が情報収集のキモでした。
そして、そのリンク集は人の手で作られることから、インターネットを使うには、情報を扱う高度な能力が求められました

情報をあつめる。
情報を整理する。
情報をやりとりする。

まさに、博物館の学芸員や、図書館の司書のような能力が求められていました。

ここで過去形にしていますが、今でもすべての情報がGoogleなどの検索にかかるわけではありません
サイトなどを作る際、検索されないように設定することはできますし、逆に検索されるように意図的に情報を流すことも難しいときもあります。完全ではありません

今、より求められる情報活用能力

私、個人は、物事に白黒はない、完全ということはない、という考えの持主です。
ですので、情報が簡単に集められるようになればなるほど、そこから漏れる情報をあつめる、整理するなどの能力が求められていくと考えています。

これは実際、資料を探すときにも同様のことがあります。
資料があり、その情報の覚え書きのようなものができ、目録ができ、検索の仕組みが高度になっていく。
さらには、その資料の情報そのものの形が変わり、検索結果から直接、アクセスできるようになっていく。
ここ20~30年の資料を扱う界隈ではとみに見られた光景です。
私もその過渡期に一人の調査者として資料にあたってきました。
その時に、資料を整理するプロに言われた一言が今でも忘れられません。

「資料を探すことは一見容易になっていく。でもだからこそ、そこに、ある、ない、と出た結果のみを信じるのでは無く、きちんと資料そのものにあたっていくことができるか。それが求められるようになる。」

当時学生だった自分は今もこの一言を握りしめて、頑固に資料を探し続けています。

閑話休題~再びリンク集について~

話を元に戻します。
さて、では、私自身、リンク集の扱いはどうするか。
個々のサイト、ブログにリンク集は残っています。
そのままでもいいかなとも思いました。
リンク集というのは、その実、交遊録だったりと自分自身の分身のようなところがあります。
ただ、冒頭に紹介した、リンク集の親分のサービス終了です。
それを踏まえると、リンク集も、ある程度は、記録、再公開しないといけないかな、と思っています。
そう考え、このブログにも手を入れつつある今日この頃です。

止揚(アウフヘーベン)

たのうえです。

止揚:弁証法で、矛盾・対立する二つの概念を、その矛盾・対立を保ちながらより高次の段階で統一すること(広辞苑)

少し、大きなタイトルをつけてみました。
このブログを作るにあたり、考えたことがあります。そのことを今日は書いてみたいと思います。

書けていた自分

今まで私はいくつかのサイト、ブログを運営してきました。
その中には限りなく実名に近い(リンクを辿れば本名がわかる)ものから、匿名で書き続けたものもあります。
匿名で続けたサイトは一時期、どなたかのはてなブックマークにめでたく登録され、「〇〇大生の晒者ブログ」と名付けられたこともあります。
当時は、個人情報が漏れたと、過敏に反応したりもしましたが、それも今となってはいい思い出。
そう書かれても、書き続けていました(そこは本の書評をするサイトでした)。
はたまた別にブログがあります。このブログは10年近く続けています。

そういういくつもの自分の個人情報、言い換えれば、私の一側面がネット上に散らばっています。
さすがに10年経つと、自分でも、当時はそう思ったのか…と、思わず頷いてしまうような記事、内容も出てきます。
それが、優れているというわけではありません。
一個人が書いた文章でも10年書きためていると、その個人を離れることがある、そんな感覚です。
簡単に言えば、忘れることなどによって、当時の自分の文章とのスタンスが異なってくるとも言えるかと思います。
そうすると単純におもしろい(一個人としては)。

これが今までの、書けていた自分、です。

書けていない自分

一方で、だいたい10年くらい前から、私は「研究」をしたいと思ってきました。
それは「温泉地」の研究です。
一度、論文を書くことはできましたが、その後が続かず、デビューできていません。
そういう意味では、書きたいと思っているのに出来ていない。
研究を書けていない自分がいます。

二つの自分の止揚

そういう点で、書けている自分の部分と、書けていない自分の部分があるわけです。

書けている自分の部分は、簡単に言ってしまえば、自分の意識の誇大妄想に過ぎないかも知れない。
ただ、書けていない自分を、書けるようにするには、二つに分かれてしまっている、「書けている自分」と「書けていない自分」を合わせて、それでいて新たな形を生み出すしかない、と考えました。

この場合、片方(研究した成果を形にしきれていない自分)は、研究でしか表現できない、としても、もう片方の、書けている自分を何とかしないといけない(この自分はネット上に散らばっている自分の考え、文章です)それらを、まとめ上げようとして作ったのがこのブログです。

ですので、これまでの散らばった自分の考え、文章をここで改めて、私の考えとして一つに整理してみる。これが一つの止揚です。

そしてもう一つは、整理した私の考えの発現を通して、書けていなかった自分を何とかしてみる、ここにもう一つの止揚がある、と考えています。

それがこのブログの自分なりの意義です。
どうなるか分かりませんが、腹をくくってやってみたいと思っています。

またしても、自己満足に終わってしまうかも知れませんが、やはり、晒し者として御覧いただければ幸いです。

Excelの小ネタ&作文の練習

たのうえです。

今回の記事は、半分は自分の備忘録。
どんなソフトにせよ、使いこなすのが苦手な私。
案外、基礎的なことがすっぽり抜け落ちている…なんてことが多々あります。

今回もそんなこと。Excel編です。

Excel方眼紙の設定方法

1つ目です。
Excelで文章などを作成するときに、縦横のマス目を正方形にして、方眼紙のようにする設定方法。
いつもこの数値を忘れてしまいます。

列、若しくは行の設定で幅を1.63に設定する。

これだけ。

1.63

この値を忘れてしまうんです(汗。

連続データのコピーor同じ値のコピー

2つ目です。
これもなんてことはない。
ある値を入れて、ドラッグするときに「ctrl」を押すか、押さないかで違いがある、ということですが。
これを敢えて、小学校低学年の姪にも分かるように説明をしてみたいと思います。

まず、ドラッグ。
ドラッグとは、文書などを編集中、コピーやカットする範囲を指定すること、とします。
具体的には、コピーやカットの開始点にカーソルを位置し、マウスの左ボタンを押しながら、マウスを動かし、終了地点でボタンを離す、一連の行為です。

次は絵を入れて。

まず、最初。
連続する文字を入力します。
ここでは曜日、日、月、火と入れてみました。

次に、文字のある範囲を選びます。
日、月、火と文字のある範囲をマウスの左ボタンを押しながら、セル(マス)の色が灰色になるようになぞり、選択します。

そうしたら次は、そのマウスの左ボタンは押したまま、下方向へ、マウスの示す矢印を動かしていきます。

最後に、左ボタンを離すと…。
日、月、火の次に続く、水、木、金、木、土、日…という値が入力されます。

最初に戻ります。このマウスの左ボタンを押したまま文字などの値を選択し、下方向へ選択範囲を広げていくとき、「ctrl」を押すか、押さないか、それによって、同じ値が入力される場合(押した場合)、連続する値が入力される場合(押さない場合)がある、このことをここでは説明しました。

…と、言葉で説明するというのは結構大変。
結構な文字数になってしまいました。

でも、こうして文章を考えて、打つことで記憶に残していくこともできると考え、今回、この記事を書いた次第です。

一歩前へ

geralt / Pixabay

たのうえです。

いま、来年度からの身の処し方を考えています。

想定されることとして凡そ以下のことがあるかと考えています。

(A)今の仕事を続ける場合

一つは今の仕事が発展的に続けられるということ。
自分の専門(温泉地研究)に関する仕事ができる、というのが第一になります。
ただ、この場合は最も充実かつ忙しい状況になることは間違いないと思います。

もう一つは今の仕事が現状維持的に続けられるということ。
これは今進めている案件、伝統産業の継承だとか、そこにある市民活動の記録とかを進めていく、そういう形になるのかな、と思います
これも、一つ一つこなしていく、という点では変わらないかと。
そして現状では、客観的に見て一番の可能性があるものだと思います。

…と同時に、今の仕事を続けていくための条件として雇用条件の改善があるかと思います。正直いって今の仕事の待遇はかなりきついものです。
具体的には敢えて申しませんが、そこで勤める際の大学卒の初任給よりも低い額で働いています。
このお仕事、非常勤嘱託というところを考えての待遇かとは思いますが、それでも厳しめの条件です。
貯蓄などに回せるものもなく、その日暮らしというのが現状です。

(B)今の仕事をやめる場合

この場合、次の二つの選択肢があると考えています。

(1)即転職する
この場合は思い切って、他業種への転職を考えています。転職先も国内であればどこでも構わないと思っています。問題は雇ってくれるところがあるか、というお話ですが、その辺は何とかできると根拠があまりない自信を持っています。

(2)転職するための技能を身につけた後に職を改める
今、かなり可能性があるのは、この選択肢かなと考えています。
教育訓練給付制度(http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/jinzaikaihatsu/kyouiku.html参照)を利用しながら新たな資格の修得などを行い、その後に転職をする。

経歴書には空白期間ができてしまいますが、ここ何年か仕事をしてきて、ある分野についての専門知識を身につけたいと考えていますので、あながち無い選択肢ではないかと思っています。
また、その間、失業手当なども支給されます。
この年(35)になって新しいことを学ぶのかい、と言われればそれまでですが。

(C)今の職業を続けつつ転職を視野に入れた活動をする
さらには合わせ技として、今の仕事を続けながら、将来の転職も視野に入れ、そのための技能を身につける、ということもあり得るかなと考えています。
この場合、今の仕事を結果として続けることになっても、スキルをアップした分、仕事に反映させることができると考えています。
具体的には、大学への再入学、科目履修生としての通学などを考えています。

…本当は、今の仕事を純粋に続けていくことで、キャリアアップを図ることができればと考えてはいますが、何がおこるか先がみえないこの昨今。
時の流れにのみ込まれないようなんとか生き抜きたいです。

皆様は、ご自身のキャリア設計、どのようにお考えでしょうか。
教育訓練給付制度などはかなり便利な制度ですので、そういったものも使い、なんとかこのご時世を乗り切ることができればいいのかな、と私は思います。

博物館のボランティア

たのうえです。

半分はお仕事、半分は自分自身のふりかえりのお話です。

今、博物館業界に喰わせてもらっています。
学生当時、自分は何になると思っていたか…。
好きなことをずっとしていたいと思っていたかなぁ。

それが何か調べることであり、その中に学芸員という選択肢や、大学教員などの研究職などに変わっていったのかなぁ。
何かを究めるということに憧れを持っていました。
好きを究めて何かにしたい、そんな漠然とした考えを持っていました。

何かを究めることに憧れを持っていたから、職人さんの「わざ」に関心を持っていたし、職人さん自体に憧れを持っていました。

それが、大学生の時、ボランティアをはじめたきっかけ。
学芸員の免許をとろうと、ガイダンスに出たとき、埼玉県立民俗文化センターの方が学生ボランティアの募集に来ていて、わざの博物館に惹かれ、気が付けば、狭山市から岩槻市まで毎週のように通っていました。

当時何をやっていたかというと、教育普及事業のお手伝いや、芸能公演、工芸実演のお手伝いなどなど。
コバトンの着ぐるみ着たり、駐車場係やったり、大道具の真似事やったり、とにかくいろいろやっていました。

この頃は、博物館におけるボランティアは、こうあるべきだ、みたいな、凝り固まった考えはなかったと思います。
ボランティアが制度化されたであろう頃より少し前の話です。

このあと、民俗文化センターが、県立博物館に吸収され無くなった時、ボランティアも制度が出来上っていったのを覚えています。
下の写真のような博物館が閉館する際にも、幸か不幸か立ち会うことになりました。

一応、民文(民俗文化センター)は年に1度、講習みたいなことがありましたが、藍の型染めだったり、おもしろいものでした。来る学生さんに来続けてもらおうというスタンスだったと思います。

それが、県博(県立博物館)に吸収されると、急に、ボランティア向けの講習を、となり、すべての体験に関して、あるいは展示に対してと体系立っていきました。

そうなったときに、県博から「ボランティアを続けませんか」という話がありました。ただそれは、やはり講習を受けないといけないらしい。
馬鹿らしくて止めてしまいました。

なんで、毎週通って、ほぼ手順などマスターしているのに、またイチから始めないといけないの?
これまで、通ってきたことが、無くなってしまうようで、どうしても合併後の県博とは距離をおくようになりました。

その後、ボランティアは学生ボランティア中心からシニアボランティア中心へと変わり、体験の補佐に加え、ガイドが入ってきました。
ですが、駐車場係や、コバトン来たり、大道具やるようなことは…無くなった(少なくなった)と記憶しています。
(ホントはこの経緯と功罪をきちんとまとめて文章にしておけばいいのですが)

私がボランティアをしていたとき、学生ボランティアは、職員と来館者の方の中間であって欲しい、そう言われたのを覚えています。
ときに職員であり、ときに来館者であり(これはどちらでもない、とも言えますが)。

そんな時分に読んだ本の一つ(広告です)。

このどちらでもなさがあったからこそ、当時は楽しかったんです。
これが、インターンのようであったり、または利用者の会みたいであったりしたら、馴染まなかったと思います。
モラトリアムの時に、来館者と職員の相互を行き来できる寛容性があったから、そこに居心地の良さを覚え、その時得た快感が今日、仕事に選ぶまでに至っているのだと思います。

さて、写真です。
これは、八潮の職人さんのところに伺った際に撮った一枚。
注染で染めた布を干しているところです。
寛容さ、大雑把なところがありながら、そこに入っていくと、こういうプロの仕事、職人の「技」が見られるという懐の深さがあったこと、それが私にとって博物館ボランティアの魅力でした。

今のご時世。。
カリキュラム化、パッケージ化されたボランティアが盛りだくさんです。
それだけボランティアが成熟したといえるのかもしれませんが、ボランティアに関わりやすくなった反面、やれることが制限(限定)されてしまったのでは、と懸念しています。
やはり、選択肢があり、自分の意思で選び、動くことにボランティアの基本があるのだとしたら、そこに多少の入り込むまでの期間などが生じたとしても、ゆるやかな、自由で楽しい、それでいて博物館の専門性の奥深さを味わえる、そういう形も残されていいものだと思います。

目的別、目標設定型、カリキュラム化、パッケージ化されたボランティアと併存して、何でもやってみよう、楽しんでやってみようというような自発性に期待するボランティアの形も、残されてもいいような気が私はします。

翻って今のお仕事。

資料館で、ボランティアの方と仕事をすることが多々あります。
今日もでしたが、どうしても仕事や、やることが重なってくると、やることに精一杯になっちゃう。楽しむ余地が無くなっちゃうんですね。
それだったら、そこまで一度毎に突き詰めるのではなく、毎回、楽しくやることを第一にして、寄り道、後退多少は気にせず、続けられる範囲で続けていくことが大切なのではと感じています。

職員である私は、どうしてもボランティアの方と活動するときに、目標、期待を持ってしまう。それは信頼しているから、とも言えますが、善意の程度を設定するという点では強引さがあるとも言えます。

もちろん、私はお金貰い働いているのですから、プロとして、ある程度まではやらなきゃならない仕事がある。
でも、これはあくまで、私の話であって、そこにボランティアさんを巻き込んで、ましてや、そのやらなきゃならない仕事を目標にするなどというのは、以ての外、私はそう考えます。
それをしたなら、自分がかつて、ボランティアをやめるきっかけになった、制度化、カリキュラム化に通じるボランティアのあり方を再現することになってしまう、そう思っています。
ですので、自分が学芸員を続けて、ボランティアさんと関わる限りは、こちらの都合の良いボランティアをお願いするのでなく、あくまでも、ボランティアさん達が楽しんで自ら参加したくなるボランティアにしていかなきゃ、と思います。

ボランティアさんが楽しく自己実現できるものでなければ、そのボランティアは続かない。仲間が欲しければ、まずは楽しい様子を見てもらう。
そんな感じでいきたいと思います。

長くなりました。
おしまい。

参考 ブログ・サイト等
文化ボランティアネットワーク