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仕事創り

10年前、私は進学先を絞りきられず、結果諦めることにしました。
そして就職。いきなりハローワークに行って仕事探し。
就活という選択肢もあったのだろうけど、そこからのスタートでした。

そうこうして、幸いにも2つの仕事を知己を介して見つけることができました。
1つは新天地、北海道でのお仕事。そしてもう1つが今のお仕事でした。

自分のフィールドが関東甲信越であったことと、持病のことがあって、あとは収入面に差があり(これは北海道も好条件だったということに後で気付きましたが)、今の仕事を選びました。

職歴では一応、PC等のキッティングや、市史編纂の調査員、いくつかの博物館でのアルバイトがありましたが、本格的に働くのは初めて。
途方に暮れました。電話番に慣れることから始め…(今でも苦手ですが)。
あとは少しずつ新たな人間関係を構築して(私、人に慣れるのに時間がかかる奴でして)。

ただ、当初決めていたのは、研究に関する仕事はやるまい、ということでした。
ま、元々、歴史的公文書を資料として使う仕事なんぞ、ほとんどないのですが、ま、企画展などにも関わらずにと考えていました。

じゃ、どうするか。それ以外に引き受けた仕事に新しい要素を加える、あるいは自分のやれそうな仕事を創っちゃうことにしました。

例えば…。
藍染めをはじめとする染色関係。
竹林の整備、畑の開墾から始めた、植栽関係。
あとは、お知り合いになった人を巻き込んでの社会教育関係のこと。
などなど。

そして、その時決めたのはそれらのノウハウは、身につけようということでした。
最初は、自分が抜けたら仕事が成立しないようなことを増やしていこう、そう考えていました。そうすれば職場での立ち位置が確保できる、そう思ったんです。

4,5年すると仕事もそれなりに回るようになってきました。

そうすると次第に自分一人では仕事をやりきれなくなってきました。

そこでお仲間(同僚、ボランティアさんなど)に手伝ってもらうようになり、さらにはマニュアル等の作成にも着手するようになりました。
ま、これも文字では伝えきれないコツみたいな部分があるので自分オリジナルのものは手元に残る、という風に思ったのと、仕事の内容を深めていくとなると一人の労力では成し遂げられなくなってきたからだったりします。

あとは、人は誰でもいつかは死ぬという当たり前のことに気付いたからです。
看取りや自分自身が死にかけた結果、生きた足跡を残しておかないとと思うようになったからです。

そういうことを考え出した前後から、当初封印していた、自分の得意分野も仕事につぎ込むようになってきました。論文(自分の中では資料紹介なのだけれど)も1つはこさえることができたし。

そして今、結果としてある程度、自分ができる仕事を見つけることができました。
ここまで10年かかりました。

でもなんとなくそれくらいかかるだろうなぁと思っていたのは、吉本隆明と糸井重里の対談本「悪人正機」の中で、人が一つの仕事をものにするには10年、毎日その仕事をする必要があるという一節があったのを覚えていたからです。

石の上にも三年、なんてことわざもありますが、不器用な私は10年、一つの職を勤め上げる必要がありました。

他の人は、もっと器用に、そして短い期間で技を身につけるのかもしれません。
ただ、もし仕事が合っていないと感じたとしたら、そこで仕事を創れるか、10年その仕事を続けていったとして、自分の強みになるものを身につけられるか、そんなことを考えるのもありなのかな、と思います。

…といっても年季奉公のなんちゃって公務員(会計年度任用職員)は給料が極端に少ないので転職も常に考えていますが(汗。
仕事や自分の体調、あとはタイミングがバチッと合うことがなく11年目を迎える、そういう面もあるのですが。

田の上

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