湯治場.netとは?
自己紹介
わたくし、たのうえは、温泉地の歴史を調べています。
特に温泉を用いた療法である湯治、それが行われていた湯治場の歴史を中心に扱っています。
温泉地の研究を始めるまで、色々な学問をかじってきています。
教育学、社会教育学、民俗学、地理学、歴史学…etc。
それらをかじるのに、通算で6回浪人しています。
そして学部4年間、修士2年間の計6年間、あわせて12年は、あれやこれやと学ぶことを悩んでいた、ということになります。
まだ、どの学問領域もモノにできてはいませんが、それらを合わせて、今は学芸員のような仕事をしています。
その日々の中で生じたあれこれ、そして温泉研究に関するあれこれを、このブログで綴っていこうと考えています。
湯治場.netとは
では、なぜそのブログを「湯治場.net」と名付けたか。
湯治は温泉を用いた療法、湯治場はそれが行われていた場所であることは先に述べたとおりです。
そこの歴史を扱うことで、私は湯治場でなぜ、湯治が行うことができたかを明らかにしようとしています。
温泉を用いる療法をなぜ、その場所(湯治場)で行えたか。
その仕組みを明らかにしようとしています。
一般的には、温泉の効能に加えて、湯治場の環境がよい影響を与えることで湯治がなされたとされています。
例えば、今いる場所から、湯治場に移動した。
その環境の(良い)変化によって心身に好影響が及ぶ、ということがあるとされています(転地療法)。
これで納得しないのが、こじらせ系の人間である私の厄介なところ。
じゃ、その環境ってのは、具体的になんなのさ、という問いを立てちゃいました。
でも、環境って言っても漠然としすぎている、なので、もうちょい幅を狭め、人間文化環境という枠組みで考えてみようとしています。
具体的には、湯治場に存在した人間関係(特に湯治方法をどう伝承していたか)や(その伝承を可能にした)社会のあり方、などです。
湯治場には一つの学びのモデルがあったのでは、と私は考えています。
湯治という経験を人伝でつないでいき、なおかつ蓄積させていく。
今でいうところの、持続可能な学びのモデル、それが湯治場にあったと考えています。
さて、お話がだいぶ長くなりました。
そんな経験を「つなぎ」「蓄えていく」働きというのは、このインターネットの世界が比較的得意にしていることだとも考えています。
このブログの前身であるブログはもうすぐはじめて10年になります。
書きためていく、そのことにより「つなぎ」「蓄えていく」ことが可能になる、私はそう考えています。
そうすると、ネット上での湯治場なんていうのもできるかも知れない、そんなことを考えていて、少しブログをリニューアルしようと決めた時、ブログのタイトル、ドメインで思いついたのがこの「湯治場.net」でした。
大事なのは自己完結せず、人伝であること、特に最近はそう考えています。
独り善がりな記事はできるだけ控える。読まれることを意識する。可能であれば読んでいただいた方とやりとりをする。
そんな場所にしたい、そう考えてのこの名前です。
どうぞ以後お見知りおき下されば幸いです。
2017/10/03 たのうえ記