新年会
村八分。これでも二分は付き合いが残るわけであり。
私、暇人なので、基本受けた誘いは断らないのを信条としています。
で、頑固という厄介な奴なんですが。
…というわけで、昨日は年に一度の新年会に行ってきました。
実は、昨年は、たぶん初めて欠席しました。
一昨年の末から足が痛くなってしまっていて、その日は松葉杖、しかも使い始めてから数日、先生のお宅までいける体力がなく。
そして、1年。
足の痛みは気持ちひいてきて。
これも実際は減量がきいているのだと思いますが。
ま、杖無しでお邪魔してきましたが、週6勤務の5日目、足腰ガタが来ていて、お邪魔してからは、脱力状態。帰りも、きつかったのですが、えいっと帰ってきました。
元々お邪魔させて貰っている新年会、恩師との個人的付き合いで(たぶん)声かけてもらっている感じで、ホントはそこのゼミに所属していたわけではないのです。
で、昨日感じたこと。
良くも悪くも、個性がでてきたな、ということです。
そのゼミの色が強くなった、とも言えます。
ま、結構なことなのかもしれませんが、私のような半端物はやや居心地が…。
そこのゼミの特徴は、今は、教育、福祉系に進んでいる方が多く。
人と関わることであったり、あるいはもう少し枠を広げて、食であったり、農であったり、命と関わることをしている方々です。
お話を聞いていると、確かに、話馴れている。
でも、どこかで関わろうとする前提があるからか、話しっぷりが似てくるんです。
時代に機敏に反応していくことに長けている人たちなのだと思います。
ですが、悲しいかな、私の周りにはそういうタイプは少ないのです。
なんていうか、資料館などに勤めていると、モノを通して人と向き合うことが多くなってきます。
そうすると、モノの知識も身につけなければ対応できなくなります。
私の場合は、行政文書であって、それを通して、その背後にいるであろう人間像に迫っていく、そういう研究スタイルをとっています。
加えて、一つの資料群に10年以上向き合わなければ、内容が把握できないこともあります。
なので、一から話していくととても話が長くなるのもあって、自分は端的に話すのは下手です。
それでも、石をつみあげていかなけりゃ研究は進まないんだからしゃあないと思っています。
たぶんこの二つの時の流れの差が私が感じる違和感なんだと思います。
どちらが正しいとはいえず、どちらも一長一短あります。
だから理想は、その辺を行き来できる人であればいいのですが…。
自分が歳を取ったせいか、そのゼミが円熟さを増してきたからか、正直今年は居て疲れました。
ま、そんなことを実感するために通っているのでもありますが。
応用、実践も大事だけど基礎研究がないと、その分野はいつか廃れると私は考えています。
基礎的なところをこつこつやることにもうちょっと目を向けては、とホントは一石投じたかったのですが、昨日はそこまで元気が無く。
ま、そういうことは行動を持って示すしかないと思いますし。
2020年、今年は、企画展があって、あとは職場創立20周年であったりします。
たぶん、年度内は企画展、新年度は記念事業に関わることになると思うので、また自分の温泉研究が遠のくのですが、ま、あせらずやっていきます。
なにぶん、足がまだ治っていないので。
以上、愚痴と新年の抱負でした。